『お金がない少年の生活』③〜親の責任とは何なのか〜
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今回は『お金がない少年の生活』③〜親の責任とは何なのか〜の中学生編です。
貧しい少年時代の生活を振り返ることで現在低中所得家庭の保護者様が子供にできることが見えてくる気がして書いています。
わずかでも保護者様の参考になれば幸甚です。
幼少期編、小学生編はこちら↓↓↓
【お金の話】『お金がない少年の生活』①〜親の責任とは何なのか〜
【お金の話】『お金がない少年の生活』②〜親の責任とは何なのか〜
それでは本編をどうぞ!
<中学生編>
中学校の入学式、母と一緒にこれから登下校する道を歩いて中学校へ向かった。
相変わらずお金はない…
でも、母からの愛はとても大きいものだと感じていた。
横に並んで歩いている母は泣いていた。
私が中学生になれた喜びというか、たぶん小学生での色々なことが頭を巡っていたのだろう。
時間さえ経過すれば誰でも通える義務教育の中学校の入学式、そこに向かう途中に涙を流すのだからとてつもない苦労をしていたに違いない。
12歳になったばかりの私はその深い思いに気付かない。
母の涙を見てなんとなくしっかりしなきゃなと改めて心に誓った。
小学生の時の「一緒に死のう」と言われた母との話し合い、そして、中学校入学式での母の涙、この二つの出来事は今後の私の性格に大きく影響を与えることになる。
愛とお金の狭間で苦しむことになるのだ。
小学生から中学生になると何が変わるのか?
学校では教科担任制になり担任の先生がすっと教室にはいなくなる。
部活動も始まり先輩後輩の関係が生まれる。
小学校に比べ自由が増え行動範囲が広がっていく。
移動にはお金がかかり、遊んでいてもお金がかかる。
「オレお金ないから!」と友人に言えたらなんと楽だったか…
遊びに行こうと誘われてもお金がなくて嫌な思いをしたくなかったためにほとんど断っていた。
地元で遊ぶ時以外ほとんどだ。
当然のごとくだんだん誘われなくなった。
周りの目が気になるようになった。
別にいじめられているわけではない。
どちらかと言えば活発で多くの友人を持ついい子ちゃんだった。
いわゆる手のかからない子と言うやつ。
でも、その手のかからないいい子ちゃんの内面を知る大人は誰ひとりいない…
両親の前では完全ないい子だったから母ですら気付くことはなかった。
気付かせてはいけないと確信していたのだ。
中学生になり少しは成長したのか、親の仕事について考えが及ぶようになっていた。
その頃第2工場を中学校の近くに移転していた。
学校帰りに第2工場に寄って母と少し話して帰ることがしばしばあった。
そんなある日、いつも通り学校帰りに第2工場の事務所へ寄った。
暑い夏の日、冷たい麦茶でも飲んでから家に帰ろうと思っていた。
事務所に入ると両親がいた。
今月の給料計算をしていたのだろう。
現金を手渡しで渡していたか振り込みだったかは定かではないが、計算が終わると母が
「数千円しか残らないよ?」
と父に言っていた。
従業員全員の給料を出して残り数千円…
従業員全員には私の母も父も含まれていない…
これはどういうことか…
さすがに中学生2年生の私でも理解できた。
久々のこの感じ…
我が家はお金がない…
このとき特に両親とは話をしていない。
絶対に聞かれたくない話だったはずだが母は平然を装っていた。
どんな気持ちだったのか今考えると想像を絶する苦痛だったことは軽く理解できる。
親としてはこんな時どうすればいいのか…
何を最優先に考えていけばいいのか…
難しい局面だったはずだから両親を責めるつもりは一切ない。
確実に言えることは子供の心にも傷が残るということ。
生活のためにお金を稼がなければいけない当事者の両親には当然毎月毎月重くのしかかる事実である。
自分だけが苦しいと思うのは間違っていることを理解してほしい。
何度も言うが責める気はない。
これからも母のためにいい子でいることは変わらない。
そして中学3年生、、、高校受験の年である。
4月にはまだ志望校は決まっていなかった。
そもそも高校へ行けるのかも不安だった。
野球は続けたかったから志望校を聞かれると毎回野球の強豪校の名前を答えていた。
電車やバスを使わなければ通えない現実味がない志望校だったが、両親は賛成してくれた。
特に父が大賛成、息子が高校野球の強豪校に入れば鼻が高いからだろう。
お金がないけど高校に行けるのか…
そんな心配は無駄だったのか、高校入学まで一切お金の話が出なかった。
流れに身を任せて結局そのまま高校へ入学することになる。
中学を卒業するとすぐ、高校の野球部への入部説明会や新入生の物品購入で信じられない金額の資料を見ることになる。
青ざめた…
「オレのいていい場所じゃない…」
<高校生編に続く…>