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人生のパートナーだと思っていた相手との感覚の違いに人はどの程度許容できるのだろう…

こんにちは、ユキツーです!

突然ですが昨日異性の友人とちょっとした討論もどきを展開してしまいました。

内容は「洗濯物を干しっぱなしにし、その日着る服をそこから取っていく生活について」となんともくだらないものです。

事の発端はこんな感じです。

 

オレ面倒くさくて洗濯物たたまないんだよね〜

え?それ普通じゃない?

え?干してあるものから取って着るんだよ?おかしくない?

わたしそれ普通!何がダメなの?

服をたたんでキレイに収納できない自分が嫌なだけだよ。

へー。外に干してないならそのままでいいでしょ!

 

という感じです。

面倒くさがりな自分が嫌で発した言葉から最後は理想の子供像にまで発展しました〜笑

こんな会話をしていてふと思ったんです。

『人生のパートナーだと思っていた相手との感覚の違いに人はどの程度許容できるのだろう…』と。

それもこれも私が自分の固定観念を外すことができず、イライラが積もり、爆発した結果が「離婚」という結果になったからです。

 

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目次

1 結婚生活は我慢が大事!?

2 口に出さなきゃ伝わらない…

3 子供がいるから離婚できない?

4 自分の成長が両親の離婚だった少女

5 人生のパートナーだと思っていた相手との感覚の違いに人はどの程度許容できるのだろう…

 

『結婚生活は我慢が大事!?』

私、これ反対です。

理由は簡単です。

自分が我慢に我慢を重ねて失敗をしたからです。

子供が1人いて、結婚から10年近くは離婚する夫婦がいる事を信じられないとまで思っていました。

でも、ある日を境に私の考えは逆転しました。

一生連れ添って生きると決めた女性なのに、視界に入ると鳥肌が立つようになりました。

自分で建てた自慢の一軒家にもいたくなくなり、多くを車で過ごすことにもなりました。

そんな状態になった我慢の原因はと言うと、

・子供への叱り方

・キッチンの流しで歯磨き

・リビングで化粧

・乗りたい車を買わせてくれない

・子作りの頻度

のようなひとつひとつは大したことないように思えるものなのです。

もちろんそれぞれに許せなくなる背景があるわけですが、それでもX DAYがくるまでは我慢できていましたし、それなりに幸せな家庭だったはずです。

本当に不思議なものです。

 

『口に出さなきゃ伝わらない…』

私が先程書いたようなことを思っていたのと同様に、相手も私への不満はあったはずです。

でも、私が爆発するまでお互いにどんな不満があったかを知りませんでした。

軽く指摘することはあっても真剣に話し合うことはしてきませんでした。

離婚に向けて話し合いをする中で、「もっと早くこうやって話し合っていたらよかったね」とお互い笑い合ったことがありました。

不満を口に出すことは怖いです。

その場の空気が重くなります。

でも、この先何年もストレスを溜め、いつか爆発する火種を持ったまま生活するより数段いい選択のはずです。

次に結婚を意識できる人に出会ったらしっかりと不満を共有していきたいし、それを受け止めてくれる人と人生を共にしたいと思います。

 

『子供がいるから離婚できない?』

私は無責任な父親です。

子供のために離婚せず、ストレスに耐える日々を選択すべきだったのかもしれません。

将来、我が子に憎まれ口を叩かれる覚悟はできています。

相当へこむとは思いますけどね…

離婚して子供をを引き取るのは多くの場合、母親です。

経済的な不安や子育ての不安など離婚する女性には男性以上のストレスがかかります。

できる限り養育費を出すことくらいしか助けてあげることはできないですが、そこは責任持ってやっています。

元奥さんとも今はストレスなく関われるようになりました。

離婚しても我が子を育ててくれている大切な存在ですから悪いイメージが消えてホッとしてます。

元奥さんにはほんと感謝しかないですからね。

我慢の仕方が分からなかった自分が悪いんです。

 

『自分の成長が両親の離婚だった少女』

物心ついた頃から両親はケンカばかりだった。

楽しみにしていた夕飯も食後の団らんも一瞬にして修羅場と化してしまう。

よく出ればドラマで見かける両親が深刻な話をしているのを子供が聞いてしまう…そんなことはしょっちゅうだった。

ある日、姉から衝撃的な事実を聞かされた。

「あんたが高校を卒業したらお父さんとお母さん離婚するんだって…」

今すぐの離婚じゃなくてわずかにホッとした心に覆い被さるような言いようのない不安感が襲ってきた。

中学2年の夏だった…

それからの誕生日のお祝いや進級進学のお祝いは回数を重ねるごとに恐怖が増していった。

自分が成長することは、大好きな両親が離れ離れになることなのだから。

高校に行く気がなくなった…

今まで頑張ってきた勉強もどうでもよくなった…

なんのために生きているのだろう…

自分が成長した先に絶対起きてほしくないことが待っている。

このまま時が止まってほしいとさえ思う。

「そうだ、成長しなければいいんだ…」

少し前まではオシャレに気を使い眉毛の手入れやムダ毛処理もこまめにやっていた。

今では同じカミソリでも用途が違う。

また今日も刃を立てて手首に押し付ける…

 

これは実話です。

両親の離婚は子供にはこれほど大きなものだということですね。

このお話のように子供を苦しめてはいけないと思い離れたところから支援する道を選びました。

「それは単なる都合のいい言い訳だろ!」

と言われるのは分かっています。

今は少しでも我が子が不自由しないように協力することが私の務めだと思っています。

 

『人生のパートナーだと思っていた相手との感覚の違いに人はどの程度許容できるのだろう…』

離婚から5年、いろいろ考え私なりの結論に辿り着きました。

それは、「人にはそれぞれ許容量があり、それぞれにスイッチがある」ということです。

例えるなら蓋付きの入れ物、タッパーなんか分かりやすいと思います。

ほとんどの人は人生のパートナーに対してのストレスを溜め込むタッパーは他人のものと比べ大きくなります。

他人には許せないことでも人生のパートナーには許せてしまいますもんね。

結婚生活で感じるストレスはこのタッパーに貯めていきます。

この時タッパーの容量以内であれば蓋ができますよね?

蓋があればタッパーを倒されたとしても中身はこぼれません。

スイッチとはその人がどうしても譲れないストレス源のことです。

スイッチとなるストレス源がタッパーに入ると倒されるのです。

すると、タッパーの容量以内であれば蓋のおかげで中身はこぼれないのに対して、容量以上に山盛りにした状態でスイッチが入ると中身はこぼれてしまうというわけです。

私の場合は、このスイッチに当たるストレス源は性行為や子作り、子育てのことでした。

子供が3人くらいほしいとお互いに口に出していたにもかかわらず、誘っても拒否するのです。

行為をしないのであれば子供はもういらないと言ってくれればいいものの、元奥さんはママ友やら親戚中には「子供が欲しい!なかなかできない!」といっていたのです。

何度か異常に腹が立ち家の外に頭を冷やしに出たことがあります。

若かりし頃の私のかわいいプチ家出です 笑笑

でもその頃はまだ私のストレス用タッパーは蓋ができる状態だったわけですね。

それがある時から蓋が閉まらなくなっていて、スイッチが入った時に中身がこぼれたということです。

人の心というものは何とも難しいものですね。

すべての不満をパートナーに言う必要はありません。

自分のスイッチを把握して、そこ件だけはパートナーと共有することを奨めます。

この記事を読んでいただいた方々の幸せのために!

ちなみに私の場合の解決策は何だったのでしょう?

パートナーが性行為を望まない理由は何だったのか…

そこには私の落ち度もあったかもしれません。

家庭内で解決できず外で発散するしかない状況だったかもしれません。

やはり話し合わなければ何も分からないのです。

もし、私が元パートナーとスイッチについて話すことができていれば、今頃我が子と幸せな生活を送れていたかもしれません…

 

最後までお読みいただきありがとうございます。